理想の指導は「ピンポイントでズバッと」

時間があるときに本を読むようになって、さまざま刺激を受けてきました。

わりと多くの本に書かれているのは、”目標は紙に書くこと”です。自分の字で想像しワクワクしながら書く自分の目標や夢は、いつか叶うものだと、文章は違えど多くの本にあります。

やはり、書くことって大事なんですよね。最近の勉強法には、「英単語は見て覚える」というものもあるようですが、最終的には書く必要がありますから、自分の手が覚えている必要もあると思うのですよね。

現在読んでいる本は、一躍時の人となり、監督業のかたわら情報番組にも出演されている青山学院大学の原晋監督の本です。

フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉
2015年の正月まで、私は一部の熱心な駅伝ファン以外、誰も知らない無名の監督でした。さらに言えば、私の現役時代は箱根駅伝出場、オリンピック出場などという華々しい経歴は皆無。そんな私が、なぜ青学陸上競技部で結果を出せたのか。 それはきっと、営業マンとして実績を積み重ねる過程で、チームをつくり上げるにはなにが必要なのか、人...

その中で、強いチームの監督は遠くからとにかく注意深く観察するという部分がありました。雰囲気がだらけたようになっていれば、近づいていくだけで気づいてもらう、それでも気づかなければ声をかける。

塾でもまったく一緒だと考えます。

ずっと教わるということは、生徒自身の思考が止まっている可能性が高いです。ということは、塾に勉強をしに来ているのではなく、教わりに来ているだけです。

違い、分かりますでしょうか。

勉強をしに来るとは、文字通り問題をできるようにすること、一つでも多く吸収して成長しようとすることです。

一方、教わりに来るとは、先生に教えてもらって終わりです。分からないから、家では勉強できないから、と言ってどう解くのかを教わりにきて、宿題をやってはくるけど結局分からないからと言ってまた教わる。

塾に来るうえで大切なのは、”一人でできるようにすること”です。教わるというのは、私個人の考えとして、ワークなどの応用問題などを「ここまでは分かっているけど、この先どう解くのか」と質問に来た時だと思っています。

基本問題が「分からない」というのであれば、もちろん教えますが、そこからはできるまで徹底して繰り返すことだと考えています。

つまり、成長していくにしたがって、”教わる”機会は減っていくはずで、それこそ勉強のやり方が身についてくるようになってくると考えます。

高校に入って、その先に進んだときに、自分で勉強する習慣があるかどうかで、周囲からの評価も大きく変わってきます。

できる限り、自分で勉強する習慣を家でも塾でもいいのでつけて、分からない問題(場所)だけをピンポイントで指導するスタイルが、先生と生徒のお互いにとって良い授業なのではないかなと考えます。

そのレベルに上がるまでに育てていきたいのですよね。
「どこが分からないの?」
「いやー、ここまでは分かるけど、ここからが・・・」
「こうしたらいいんでない?」
「あっなるほど!分かった!」

毎回がこんな授業であるために、やはりまず基礎が定着していることが大事だと考えています。

TOMORROW IS ANOTHER DAY.

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